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第15回フリースクールレポート! 信藤三雄×安齋肇【トーク編】

 

6月30日に開催された第15回モーアシビーフリースクール

主宰の信藤三雄さんがホスト役を務め、ゲストに、イラストレーター・アートディレクターの安齋 肇さんをお迎えしました。

ご来場頂いた皆さま、ありがとうございました!

 

第1部アーティストトーク

「ルーズでダラダラ、ユルユルな安齋 肇はなぜ活躍し続けられるのか?」

 

第1部アーティストトークは、沖縄県立図書館で開催。

登場してすぐ、「信藤さんって何歳なの?」「安齋さんって何歳?」と年齢を教え合うと、「縁側でのおしゃべりが似合う年だね」「お墓の前とかね」と、さっそく笑いを誘い、ユルユル和やかな雰囲気でスタートしました。

 

 

2人が初めて会ったのは1980年代前半。ちょうど、信藤さんが松任谷由実さんのジャケットを手掛け始めたあたり。

「確か湯村さんの事務所で出会ったんじゃないかなぁ」と、2人の師匠といえるイラストレーター・デザイナー、湯村輝彦さんの思い出話を。

湯村さんは、テリー・ジョンソンのペンネームでも有名な元祖『ヘタうま』のイラストレーターです。

 

 

「湯村さんは、生活そのものをデザイン化していた。すべてに影響を受けた」(信藤さん)

「僕もそう。だから、あの人が悪い人じゃなくてよかったよね(笑) 影響された人が一緒だから、信藤さんは僕にとってお兄さんみたいな感じだね」(安齋さん)

 

 

 

スクリーンに、湯村さんがイラストを描いたキングトーンズ「ラストダンスはヘイジュード」のジャケットが映し出されると、「この文字は湯村さんが描いたように見えるかもしれないけど、僕が描いたんですよ」と安齋さんが解説。「僕は、湯村さんから文字、アルファベットを描くときの影響をすごく受けてると思う」

 

その後も、湯村さんのエピソードが続々と。

「湯村さんって、『〆切なのでイラストを取りにいきます』って電話して出かけると、僕が到着したその場で描き始めるの。ささっと2枚描いて、『どっちがいい?』って聞いてくる。その後に『ちょっと待ってて』と3枚目を描く。この3枚目がまったく使えないの。全裸だったりしてね。でもそれを使ってみちゃったこともあって、後で関係者に回収しなさいって怒られたことあったなぁ(笑)」(安齋さん)

 

 

「そういうおもしろい人がいたから、本当に毎日楽しかったよね。このジャケットに描いてあるドリフターズ、キングトーンズ、ビートルズの絵もそうだけど、湯村さんの描く似顔絵はそっくりなんだよ。そこが本当にすごい」(信藤さん)

「そっくりに描くんだけど、変なことをする人。気づくと描かれているのが両手とも右手だったり(笑)」(安齋さん)

 

安齋さんから信藤さんにデザインの仕事を依頼したお話も。KYON²こと小泉今日子さんのツアーパンフレット「K-iD」。

安齋さんは、この当時多忙を極めていて、とても大変な時期だったそう。とはいえ、〆切厳守の仕事。「安齋さんは決してデザインしないでください」と言われたとか。

そこで、安齋さんがアートディレクターに立ち、デザイナー6人で、6つのパーツに分けて制作することに。そのデザイナーの一人が信藤さんでした。

 

結果は、「みんなで手分けしたら遅れないと思ってたのに、遅れた(笑)」。会場は大爆笑。

 

「なんとツアー始まりの2公演はパンフレットがない状態ですよ。プロデューサーの川勝くんが『小指持って事務所にお詫びしにいきましょう』って言ってね(笑)」と、信藤さんや安齋さんが親しかった編集者・ライター、かの川勝正幸さんのエピソードも飛び出しました。

 

「信藤さんの作品も見たいな」という安齋さんの言葉で、スクリーンには、これまで信藤さんが手掛けたピチカート・ファイヴやNEW BALANCEなど、数々の作品が。

「ぐちゃぐちゃなデザインでも、文字だけでも、色を使っても使ってなくても、信藤三雄。作品から信藤三雄という香りがする。かっこいいなぁ。羨ましい」とコメント。

 

NWE BALANCEのビジュアルについて、なぜ靴を人の頭に載せたのか質問すると、「現場でふとやってみたいなと思って」と信藤さん。

「何人か撮影する中で、最初が坂本龍一さんだったんだけど、坂本さんに『頭に載せていいですか?』って聞いたらOK!って。そしたら意外と2足うまく載ったんだよね!」。

すかさず安齋さんは、「靴の広告なのに履かなくていいんだ!」と大笑い。

 

「一番大変だった仕事は?」という質問にも回答。

安齋さんは、イラストレーターになりたてのころ、立花ハジメさん「セックスシンボルの逆襲」のアニメーションを作ったとき。16ミリの真っ黒なフィルムをひたすら削って絵を描く仕事。

 

「あるとき、知り合いのカメラマンに『イラストレーターになりたい』って言ったら、『なれるよ、イラストレーターの名刺作ればいいんだよ』って言われて。じゃあおもしろい名刺を作ってやろうってことで、16ミリの真っ黒なフィルムを針みたいなもので削って描いて名刺にしていたの。

それをおもしろいって言ってくれたのが立花ハジメ。この絵をつないで1曲のアニメーションを作りたい、と。でも、24コマ描いてようやく1秒だからね。10日間くらい真っ暗な部屋にこもって描き続けたら、あるとき夜中に発狂しました(笑)。そのくらい辛かったなぁ」

 

信藤さんが一番大変だった仕事は、クリスマスの特番でドラマ監督を務めたとき。中山美穂さん、真田広之さんが出演した「聖夜の奇跡」。

 

 

「1週間の北海道ロケ。毎日、撮影してロケハンして、の繰り返し。夜中終わっても眠れず、次の現場へ。監督なんだけど台本を渡されても、なかなか台詞を覚えられないし(笑)。ミュージシャンのPVで監督をした経験はあったけど、ストーリーものはこれが初めてだったから、大変な思いをしました」

数々の映像作品を手掛けている安齋さんも、映像世界の辛さに「わかる」と共感。「なにごとも、異分野に出ていくときは風当たりが強いもの」と頷き合いました。

 

最後は、安齋さんが初監督を務めた映画「変態だ」の撮影現場で起こった大爆笑エピソードで盛り上がり、トークは終了。

 

 

「ルーズでダラダラ、ユルユルな安齋 肇はなぜ活躍し続けられるのか?」

会場のみなさん、その答えを感じ取っていただけましたでしょうか。

 

ちょうどこの日は、「沖縄こどもの国」から脱走した猿がすべて捕獲された翌日。

「猿も無事につかまったから安心だね」と締めくくった安齋さん。

会場が朗らかな笑いであふれ、ユルユルと幕を閉じました。

 

第2部ワークショップの記事へつづく。

 

PHOTO/HIROTA AOTSUKA

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